空手家の端くれサラリーマンの日記

暇な時に日記を書いていきます。 日々の暮らしの中で、知ったお得な情報等、 紹介していきます。

2017年11月

TBSドラフト特番で目の当たりにした野球というスポーツの残酷な現実

TBSドラフト特番、死にたかったと嘆く「指名漏れ」選手にスタジオ絶句、というニュースを読みましたが、先日のドラフト会議は自宅のテレビで観ていました。

夫婦揃って野球が好きで、地元の球団がどの選手を指名するのかがとにかく気になってしまい、その後の中居くんが司会のTV番組でTBSドラフト特番は録画して観ていたのです。

野球に限らずスポーツは、時として観ている側に大きな感動やパワーをくれるものです。
しかし選手は絶えず現実と闘っていて、そこには人間ドラマという言葉では言い表す事が出来ない程、残酷な現実があります。

この指名漏れをしてしまった選手のお話は、ほんのひと握りなのです。
私たちスポーツを観る者は、家族を巻き込み自分の人生を賭けてもプロに挑戦する事にすら届かない野球少年達が沢山いる、という事実をしっかり受け止めなければなりません。
そういう人たちの上に成り立っているスポーツであり、プロアスリートの責任やプロ魂だったりするのです。

今トップで活躍している選手達は、自分達もそういう世界で育ってきていますので、このような事実はよく分かっていると思います。
だからこそ、彼らのスポーツをする姿に胸が熱くなるんだろうな、と思いながら観ています。
今回指名漏れをしてしまった選手もそうですが、仮にプロ野球選手になっても活躍出来なければ、戦力外通告をされて辛い日々をおくる事になります。

むしろプロ野球選手として活躍し続けている選手というのは、本当にごく僅かな限られた人達なのです。
プロ野球人生を全うして引退セレモニーをしてもらい、惜しまれながら引退していく選手というのは、ごく僅かなひと握りのプロ野球選手の中でも更にひと握りの選手です。
そういう選手は、厳しい現役生活であっても幸せな野球人生だっただろうな、と思いを馳てしまいます。

そして「この中の男の子達の誰かが、そんな幸せな野球人生をおくる事が出来るのだろうか」と考えながら、今回のドラフト会議を観ていました。

この指名漏れをしてしまった選手も古田氏のようにどん底から這い上がり、いつかきっと指名を受け、プロ野球選手としてテレビで観れる事を祈っています。

ドラフトで見る将来の名選手候補と球界を去る名選手たち

最近テレビでの中継が減っている影響からか、あまりプロ野球を観る機会に恵まれないのですが、やはり秋になるとクライマックスシリーズから日本シリーズ、ドラフト会議など大きなイベントが目白押しになるだけにニュースなどでは目にする機会が増えます。
今1番の話題はやはり7球団に指名され晴れて日本ハムファイターズから指名を受けた清宮選手でしょう。
今年は高校球児に光る逸材が多いと言われる当たり年、その中にあってやはり人気と実力を兼ね備えた選手が次々とドラフトで指名を受けていますが、数年もすればその中の何名かは球界を背負って行くことになるのでしょう。
何れにしても怪我や不運なく持てる力を存分に発揮してほしいと、長年の野球ファンの一人として願うばかりです。

若い世代が大人の世界に飛び込んでいく、と同時にこれまでいた球団を去る選手、また球界を後にして第二の人生を歩む選手が出てきます。
トレードやFAといった選手はまたこれから新たな場所で選手生活を続けるわけですが、戦力外通告を受ける選手、また引退を決意した選手は違う道を歩むことになるのです。
一般のサラリーマンに比べればまだまだ若い彼らの引退、アスリートの世界の厳しさを痛感する季節でもありますね。

そんな選手の名を見ているとかつて応援した選手もチラホラ見かけます。
阪神の安藤投手、中日森野選手、巨人の松本選手、村田選手などは野球ファンなら誰もが知っている選手たち、またそれ以外の選手たちも含めるとまだまだ活躍の場があるのではと思ってしまう選手ばかりです。
ただプロの世界は素人の私たちが思っている以上に結果を出すのが難しい世界なのですね。
数年前は活躍していたイメージが強くても、いつの間にか新旧交代の波に飲まれてしまう現実と向き合わなければなりません。
アスリートってかっこいいと思う自分もいつつ、自分は会社員で良かったと毎年感じる瞬間があるのですが、やはり秋のこの季節は切ない気持ちが先に立ってしまいます。

話題のニュースを素早く手に入れる事が出来るヤフーニュース

ヤフーニュースを見れば、今話題のニュースをいち早く手に入れる事ができます。

それにヤフーコメントがありますので、自分だけでは無く、他の人はどのように感じているのかも手に取るようにわかります。ただ、自分と同じ事を思っている人もいれば、中傷ばかりの人もいますので千差万別です。

また、一つのジャンルに留まらずスポーツ、事件、芸能などあらゆるジャンルのニュースを絞って来ているので、まさにヤフーニュース自体が新聞を凝縮したような感じです。しかもタブで、自分の好きなジャンルを絞ってみる事も出来ますので欲しい情報がその場ですぐ手に入れる事が出来ます。

例えば、天気やホテルの予約、ゲームまで記載されていますのでニュースを見るついでに色々な情報を手に入れる事が出来ます。実際に見てみると、タイトルが綺麗にニュースを凝縮した作りになっていますので、タイトルを見ると、どのようなニュースかすぐにわかります。

中でも一番ヤフーニュースを気に入っている点は、話題になった事もすぐにニュースとして載りますので、ヤフーニュースを読むだけで今話題になっている話を学校や職場で話に乗り遅れなくなるという点です。ただ残念ながら、100%その情報が話題に乗っているニュースではなく、ニュースにする程でもないと感じるのも記載されている時があります。

また、ヤフーニュースは、スマホのアプリもあり、電車乗りながら片手で見る事も出来ますので、いざという災害や事故などもリアルタイムで情報を得る事ができ便利です。

その反面、コメントの質が悪くて見ていて気分の良くないコメントがある事がありますので、それは残念に思うことがあります。それが無ければリアルタイムで欲しい情報を見る事が出来るので、ヤフーニュースは、日常生活において、欠かせないサイトだと思います。

『<文科省>学校いじめ最多32万件 小学校で急増 16年度』をみて感じたこと

この手のニュースを見るたび最近思うのは、なぜ親、いじめっこがほとんどバッシングされず教育者側ばかりがバッシングされるのか、ということ。特にここ数年は教育者側がものすごくバッシングを受けているように感じる。

私自身、教育現場が今までいかにいじめの対策をしてきたかある程度知っているが、正直いたちごっこだなと感じている。いくら教育者側が対策をしようとも限界がある。ラインを規制したり、生徒の学校外の行動まで制限したりというのは厳しいものがあるし、そんなことまでしたら、教師の負担ははてしなく増えていってしまう。

このようないじめを減らそうというとき、なぜ「我が子がいじめられっ子、いじめっ子になっていないか、それを気付くにはどうすればいいのか」といったことや、「いじめっこに対してどのように処罰すべきなのか」という点をもっと議論しないのだろうか。そもそも「いじめられている」「いじめている」ということに気付くべきは親と言ってもおかしくない。確かにいじめの行為自体は学校内で行われるだろうが、自殺するくらい追い込まれている我が子の異変に親は気付くべきである。現にその点において深く後悔している遺族も少なくない。

確かに、いじめを放置したり上手く対処できない教員は多い。もっともっといじめの対応について学校、教育委員会等連携を深めて、失敗したらといった恐怖により行動できない教員を減らす努力をすべきだとも思う。保身でなく、子供のために行動すべきと思う事例もたくさんある。

しかし、私はやはり親が我が子をしっかり見てあげること、異変に気付いてあげることが重要であり、もっと堀下げてその術を議論すべきだと思う。いじめによる自殺によって我が子を失った遺族は、その悔しさや悲しさを学校へ向けるとともに自分自身へ向けることがほとんどである。なぜ気付けなかったのか、そういった後悔を一生背負っていくこととなる人も多い。そういった遺族を生まない、いじめによる悲劇を繰り返さないためにも、家庭が出来ること、我が子の異変に気付く術について、もっと多くの人が感心をもち議論していくべきではないだろうか。

日本のスポーツ選手はもっとブーイングを浴びるべき?

"「ドーハの悲劇」"

サッカーが大好きな人はもちろんのこと、サッカーに興味が無い人でも聞いたことがあるであろうこのフレーズ。

1993年10月28日アメリカワールドカップアジア最終予選、悲願のワールドカップ初出場に王手を掛けていた日本は、勝てばアメリカ行きが決まるイラクとの最終戦で2-2の引き分けに終わり、天国から地獄へと突き落とされました。

後半45分を過ぎ、アディクショナルタイムを迎えた直後のコーナーキックからの失点。
試合終了のホイッスルと共にグラウンドに倒れこみ、茫然自失の選手達の姿がとても印象的でした。
今でも語り草のこの試合は、今でもテレビ等でよく目にします。

当時日本サッカー界をけん引していた三浦知良選手。

メディアでは語られていない、ドーハの悲劇後の三浦知良選手の知られざる涙の記事が掲載されました。

衝撃の敗退から一夜明けたドーハ市内のホテルのロビーにて、声を掛けるのもはばかられるような状況の中、目を真っ赤にした三浦知良選手が近づいてきて、

「成田空港に帰ったらトマトかな・・・」

と声を投げ掛けてきたそうなのです。

これは1966年イングランドワールドカップでの出来事で、グループリーグ最終戦で伏兵の朝鮮民主主義人民共和国代表にまさかの苦杯をなめ、決勝トーナメント進出を逃したイタリア代表が、帰国したミラノの空港でサポーターからトマトを投げつけられ、罵声を浴びた事件を思い浮かべてのことでしょう。

しかし当時の日本の風潮は、ワールドカップやオリンピックのアジア予選で勝ったことのない韓国相手に勝利を収めたことなどもあり、日本代表に、感動をありがとうと感謝こそすれど、攻め立てるような風潮はほとんどありませんでした。

「胸張って帰ってこい、忘れないこの感動」

そう見出しに記されている新聞を見せられた三浦知良選手は、目頭を押さえ、こう言ったそうなのです。

「これじゃあダメなんだよ」

アメリカ行きの切符を逃し、日本は何も成し遂げられなかった。
だからこそ「感動をありがとう」という論調に違和感を覚えたのでしょう。
世界を見渡せば、同じように苦渋を舐めている強豪国やチームはたくさんあります。
そこから這いあがる原動力の一つとして、ファンやサポーターから浴びせられる厳しいブーイングや忌憚のない批判があるのです。

10代の頃からブラジルに渡り、過酷な環境の中で苦労してきた三浦知良選手だからこそ、誰よりもブーイングや批判の意味を理解していたのでしょう。
サッカーに限らず他のスポーツにも言えることですが、負けても批判ではなく、感動をありがとうと言った風潮になりがちな日本。

これはこれで素晴らしいことなのでしょう。
日本人特有と言ってもいいかもしれません。

しかし、批判を受けてなにくそと這い上がって行く、ハングリー精神のようなものを培いにくい土壌になっているのではないでしょうか。

称賛すべきところは称賛し、批判すべきところは批判する。

そうすることにより、日本の選手達はもっと世界へ羽ばたいていってくれるのではないでしょうか。
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